2005.12.4(日)14:00~17:00 地球ハウス
静岡に
FAS(アジアを考える静岡フォーラム)という団体があり、外国人のための無料医療相談と検診会などを行っているそうです。私自身はFASに入っておらず、外国人との交流等の分野はあまり詳しくないのですが、今回、FASでフィリピンについて考える勉強会があると聞いて、参加してみました。講師は、元FAS代表のTさんでした。勉強会は、Tさんの軽快な語り口による講演(Tさんいわく、話題提供)と、若干の質疑応答があり、フィリピンの現状を垣間見ることができました。
●私とフィリピン
Tさんからの話題は、およそ以下のとおりです。
私は1983年から2年ほどフィリピンに留学しました。当時はマルコス政権末期で、「政治の季節」でした。反政府運動が盛り上がり、私の留学した大学でも、政治討論やデモなどが行われていました。1年間ほど、農村での生活も体験しました。そこでは、小作農民土地闘争が起こり、武力で地主に追い出された小作人のために裁判で証言する、という体験もしました。1986年、マルコス政権を終了させた「2月革命」にも遭遇しました。フィリピンのTVは混乱しており、歴史の転換点を身近に感じました。
帰国後、滞日フィリピン人たちとの付き合いが始まりました。「じゃぱゆきさん」「じゃぱゆきくん」や農村花嫁訪問の支援をしたり、フィリピン語教師や「生活ガイドブック」翻訳、弁護士会の通訳もしました。その後、97年にはFASフィリピン担当を引き継ぎました。この間、フィリピンには30回以上行き、通産滞在年数は5年になります。最近10年間は、地方都市周辺の先住民アエタの人々と付き合いをしており、路上での薬売りを手伝ったり、豚の出産に立ち会ったりしています。
●日本とフィリピン
古くは高山右近や呂宋助佐ヱ門がフィリピンに行っています。明治期からは道路人夫、職人、雑貨商などがフィリピンに移民しました。2000人を超える日本人が、フィリピンにいたこともありました。その後、太平洋戦争での日本軍の占領により甚大な被害を受けました。当時いたフィリピン人1600万人のうち、111万人が戦争で命を落としたという資料もあります。この戦争でフィリピンの反日感情は非常に高まったのですが、戦後比較的早い時期からの賠償や交流(慰霊のツアーなど)などを通じて、反日感情は和らいできました。また、フィリピン日系人リーガルサポートセンターhttp://pnlsc.com/を通じて、残留日本人2世の肉親探しも行われています。賠償から援助、経済進出という形でフィリピンに入っていった日本政府及び日本企業でしたが、これがマルコス政権と癒着する構造であるとも言えました(インドネシアのスハルト政権も同様)。
フィリピンは、移民送り出し大国でもあります。移民の始まりは、20世紀初頭の労働者募集に応じたハワイ移民からで、その後カリフォルニア、戦後は沖縄やグァムなどの米軍基地へ移民しました。75年以降のマルコス政権下では「海外雇用庁」を設立し、国策として海外への出稼ぎを推奨し、中東(特にサウジアラビア)、香港、シンガポール、イタリア、日本などに移民しましたが、多くのフィリピン人があこがれるのがアメリカへの移民でした。出稼ぎもよい面ばかりでなく、フロール・コンテンポラシオン事件(シンガポールに出稼ぎしたフィリピン人女性が死刑にされた事件、両国間で国際間の問題に発展しかけた)、サラ・バラバガン事件(アラブ首長国連邦で死刑判決を受けたが減刑され帰国)もありました(参照
こちら)。彼女たちはメードとして働きましたが、レイプや暴力などの人権侵害を受けることも多かったのです。その他、ナースとしてアメリカやカナダなどで働くフィリピン人も多くいますが、これは看護師の制度がアメリカと同様であるからというのも一因です。ちなみに、現在、700万人のフィリピン人が海外で生活しており、これは人口の約10%、労働力人口の約20%にあたります。彼らが海外から本国に送金する額がGNPの約20%、外貨収入の約80%に相当します。国レベルでも個人レベルでも出稼ぎに依存してしまっている状況です。
終戦直後、米軍、ミュージシャン、スポーツ選手(日本スポーツ界の目標だったフィリピン人選手)などさまざまなフィリピン人が日本に渡りました。また、フィリピンは「船員大国」でもあります。物流のおよそ98%を占める海運業で、全世界の四分の一、日本の半分をフィリピン人が占めています。
その後、「じゃぱゆきさん(くん)」が登場してきます。ジャピーノは、日本人男性・フィリピン人女性の混血を指しますが、男性が子どもを認知しないケースもあります。また、フィリピンは花嫁送り出し大国でもあります。日本の国際結婚の30%は日比結婚ですが、離婚率は高く、関係は対等ではありません。フィリピンの文化や言語、アイデンティティが子どもに受け継がれないばかりか、母親がフィリピン人なのでいじめられることもあるのです。
●介護・労働力問題
フィリピンと日本の「自由貿易協定」(FTA)が進められています。この中の目玉は、看護・介護労働力の日本の受け入れです。フィリピンは「ナース大国」であり、サウジアラビアへの約5500人を筆頭に、アメリカやイギリスなど全体で約9000人のナースを送り出しています。フィリピンの看護師、介護士予備軍は先進国、特にアメリカを目指しています。一方で、医師の流出が危惧されています。医師でありながら看護師資格を取って海外に出稼ぎをする者もいるのです(今まで使っていた看護師の下で資格を取るため勉強する、フィリピンと海外の所得格差)。医師・看護師の流出により、フィリピン医療への影響が懸念されます。
外国人が日本で生活する場合、ゴミの出し方でも摩擦が生じることがありますが、医療や介護というレベルではより微妙な面があります。このため、在日フィリピン人介護人材養成の試みも始まっています。日本である程度過ごしているフィリピンの人々であれば、そのような摩擦が多少軽減されると考えられます。すでに多くの2級ヘルパー取得者がおり、指導者も誕生しています。少子高齢化が進む日本(先進国全体がそうですが)をフィリピン人が支えるのか…日本とアジアの対等な関係を目指していく必要があります。
●質疑応答、感想など
Tさんの話の後、若干の質疑応答や感想などを聞きました。およその内容は、以下のとおりです。
・出稼ぎ送り出し大国→在外フィリピン人のために選挙を行ったり、フィリピン国内での雇用創出などに努力しているが、経済は沈んだまま。
・マルコス政権以降は民主化が進んでいる?→政権が変わっても、昔のエリートが牛耳っているのが実態。
・フィリピンの経済実態は?他の東南アジア諸国と比較してどうか?→ベトナムと比較すると、フィリピンのほうがまだまだ上。フィリピンの大学進学率は高い。マルコス政権以降の政治家も政治の失敗をマルコス政権のせいにし、無策。インドネシアのスハルト政権も腐敗していたが、インフラは整備していた。
・フィリピンは米軍を追い出したので民主的では?→ジャーナリズムは比較的自由。スハルト政権や韓国のパク政権のように暗殺はないが、危ないときは密かに殺していた?(って、これも暗殺と言わない?)フィリピンは民主的議会運営にこだわりすぎたのが経済停滞の一因。議員は大地主が多いので、改革が進まなかった(民主的に農地改革が成功した例は世界にもほとんどない)。
・父親探しは→ほとんど成功していない。
・規制改革・民間開放推進会議では、「高いレベルのサービスとリーズナブルなコストを実現するためには、外国人看護師・介護士の導入が必要」という文言があるが、問題である。
・とある人材派遣会社社長は、外国人の在住支援のために派遣業務に取り組んでいる、と言っていた。
・出稼ぎに行くのはフィリピンでは中流家庭が多い。あまり貧しい人は行けないし、大金持ちは行く必要がない。大学教授が出稼ぎに出たという例もあった。
・フィリピンでは医療・介護制度は整っていないが、いざというときは家族・親戚が面倒をみる社会である。家族たちが支えているから出稼ぎに行ける。農村花嫁の条件は、日本では信じられないが「母親がいること」。母親がいれば、いろいろ教えてもらえるからだという。
・アメリカを目指すのは、文化がアメリカ的であり、英語力があるというのも一因。
●終わりに
私にとってはどこの外国も遠いのですが…距離的には近いもののよく知らなかったフィリピンのことが分かり、大変参考になりました。同じ国内でも貧富の差が大きい、国が違えばさらに貧富の差が大きいという問題、外国人労働者と人権の問題、少子高齢化と医療・介護の問題など、さまざまなことを考えさせられた勉強会でした。